聡ちゃんのおやすみについて、聡マリの言葉でこころの整理がついた話。

メリークリスマス(イブ)!!!みなさまどのようにクリスマスをお過ごしになりますか?私は、ひとあし早く聡マリから素敵なクリスマスプレゼントをいただけたので、とても心穏やかに素敵なクリスマスを過ごせそうです。

 

そう!そうなんです。聡マリから、素敵な言葉のプレゼントをもらい、それまで聡ちゃんのおやすみについて思い悩んでいた日々にピリオドをうてた、という話をさせてください。(すべて主観的でごく個人的な解釈、理解、考えになりますので、これが正解、とかそういうわけではありません。どうかお気を悪くされませんように。また、今回のことで病気の名前と正しい知識が広まっていくことについては、全然、悪いことだとは思っていないです。)

 

今年の聡ちゃんのお誕生日間近。その頃、突如とまったSGDの更新に、弱冠タイムラインが不安で揺れているのを感じていました。そして、SGDからは何の音沙汰もなく終わった、11月27日の聡ちゃんのお誕生日。そして、次の日の、聡ちゃんの病気と休養の発表。

 

ブログの更新が止まり、何かあるのではないかと不安だったので、あまりに突然の知らせでおどろいた、ということはなかったのですがあまりのことに、言葉にできない悲しみがこみあげてきました。発表の翌朝、昨日のできごとが悪夢ではなかったことに、朝から声をあげて泣きました。

 

聡ちゃんがしばらくいなくなることがさびしいだけではありませんでした。私もかつて、パニック障害と診断され、しばらくの間苦しんだことがあるのも大きかったです。

 

聡ちゃんのおやすみが発表されてから、わきあがる聡ちゃんへの気持ちの数々が、すべて欲望にまみれたエゴに思えて、葛藤がつづきました。

 

多くの人の、聡ちゃんへの期待と、期待に応えてくれなかった時の落胆の声が、聡ちゃんを追い詰めてしまったように思えてならなかった。私だって、過去、そういうことをSNSで発信していなかったといえば嘘になる。だからこそ、聡ちゃんのおやすみを受けて生まれた数々の聡ちゃんへの気持ちも、全部全部、自己中心的でうすぎたないエゴに思えた。

 

良くなってほしいっていう応援も、いまはゆっくり休んでほしいから何も言わずゆっくり待とうという見守りの気持ちも、エゴ。何よりも、自分も同じ病気になったことがあるということで、勝手に共感できる気になって、勝手に聡ちゃんの気持ちを想像して、その苦しみに同調して悲しんだり心配している自分が一番気持ちがわるくて寒気がした。心配の裏には、聡ちゃんと同じ病気だったからこそ理解できることがあるという優越感があるように思えたから。同じ病名だからといって、症状が同じわけではないって、わかっていたのに。

 

答えの出ない、聡ちゃんに対する色々な考えが迷走して、からまった。そこへ、聡ちゃん不在のまま放送される音楽番組。聡ちゃんがいないことへの違和感。ぽっかりと心に空洞ができたようなさみしさ。聡ちゃんがいないのに笑い、歌い、話すマリウス君への途方もないさびしさ。いつも通りに見えれば見えるほど、その奥の悲しみを勝手に想像して悲しくなった。

 

ガチガチに理詰めされた聡ちゃんのおやすみ・病気への意見考えと、純粋なさびしいという感情が交錯してぐっちゃぐっちゃだった。とりあえず、どれもこれも答えが出ないので、「保留!」「保留!」「保留!」とそれぞれにお札をはって、時の流れに任せることにした。

 

でも、まさか、こんなに早く自分の懊悩に答えが出る日がくるとは思わなかった。

 

今月、12月末に発売されたポポロと明星。ポポロのSexy Zoneの特集は「ラブラブすごろく」。各マスにメンバーのコメントが載っている。そのすごろくの「メンバーに愛を叫ぼう!~マリウス葉編~」というマスで、マリウス君は聡ちゃんに対して、

 

もう、存在が好き(笑)!みんなに愛されていて、僕たちのなかでいちばんたくさん魅力を持っている人だと思う。

 

 

 

と愛を伝えている。それに応えるように、聡ちゃんの同主旨のマスでのコメントは、

 

マリウスのことは、ぜんぶ好き。ひとつ挙げるなら、なんだかんだ言って「聡ちゃん~」って甘えてくるツンデレなところ(笑)。

 

 

というもの。

 

このコメントを読んだとき、心のからまりがほどけて、あたたかくなるのを感じた。

 

ああ、聡ちゃんは、マリウスくんのこと、嫌いなところも、好きなんだろうなぁって思った。マリウスくんと長い時間をともにする中で、ライバル心など色々な気持ち、葛藤があったのは雑誌記事などで知った。そういう気持ちを乗り越えて、もしかしたら、抱えたままで、マリウスくんのぜんぶを好きになっていったのだろうな、と思う。

 

そして、それほど好きな相手に、聡ちゃんは、存在自体を愛されている。

 

ああ、大丈夫なんだ、って思った。ちっぽけな、いちファンである私が、何を想い、聡ちゃんを待とうが、待たまいが、好きにしていいんだ、大丈夫なんだって。聡ちゃんは大丈夫なんだ、って。

 

この聡マリのやりとりを読んで、私はあることに悩んでいたと、気づいた。

 

私には、リープリンとしての自分とセクガルとしての自分がいる。聡マリのお互いを思いやる、愛に満ちたありようが大好きな、リープリンとしての私。その私は、聡ちゃんが心穏やかに過ごしてくれればいい、私のあずかり知らないどこかで、マリウスくんと一緒にいてくれればいいと思えた。

 

けれど、セクガルとしての私は違う。Sexy Zoneの5人が啓蒙し創りあげていくSexy時代を見てみたいと思っている。多様性が認められ、自己卑下で笑いをとる風潮が消え、新時代的な開けた考えと日本古来のよさが共存し、アップデートを続ける柔軟な世界。その為には、「アイドル」松島聡は必要不可欠。マリウスくんが明星で言っているようにグループの「接着剤」で、勝利くんが同すごろく記事で言っているように「ムードメーカー」で「元気の源」な聡ちゃんが絶対に必要!!

 

でも、今の聡ちゃんに、「アイドル」という役割、それに伴う「接着剤」「ムードメーカー」という役割行動を期待するのは、非情なのではないかと思っていた。聡ちゃんに抱く気持ち全て、どちらにしろエゴであったとしても、これはたちが悪いエゴではないだろうか。アイドル以前に、生身の、ひとりの人間としての松島聡のことをまずは思わなければだめじゃないのか、今、あからさまに期待を表に出してはいけないのではないかと。

 

こんな悩みが自分の中にあったんだと、気づいた。だから、私は聡ちゃんのおやすみに対して、どういうスタンスでいればいいかわからず、もだもだしていたのだ。そして、そう気づいたときには、もうその悩みは晴れていた。

 

聡ちゃんは、聡ちゃんが好きな人に、マリウスくんに、存在ごと愛されている。そんな人がいてくれるなら、きっと大丈夫なのだろう。マリウスくんの好きは、「アイドル」とか「接着剤」とか「ムードメーカー」とか、役割も役割行動も、何もかもレッテルをすべてとっぱらって、「松島聡」というひとりの人間の存在をまるごと愛してるって、ことなんだと思う。そういう人がひとりでもいてくれるなら、きっと、聡ちゃんは快復すると思う。私も、病気のとき、そうだったから。たくさんの肯定の言葉と、弱気な自分をまるごと受けとめてくれる友人の支えが、快復へと向かわせてくれたから。

 

そして、だからこそ私は、安心して、聡ちゃんに「キラキラアイドル松島聡」を期待して、待ってていいんだ。でも、別に、待たなくったって、ただただ健やかに過ごしてほしいと祈るだけだって、いいんだ。どう聡ちゃんのおやすみを受けとめ過ごすかは、私の自由なんだ。だって、聡ちゃんは、大丈夫、なんだから。

 

 

そして、明星でも、私は大きな気づきというか、見失っていたものを取りもどせた。

 

明星では聡マリのペアトークのページがあって。そこでは聡ちゃんがマリウスくんに対して、こう言っている。

 

『24時間テレビ』のメインパーソナリティーが決まったときあたりからかな。とにかくやってみよう!ってチャレンジ精神が出てきて、なんだか頼もしくなった。ナヨナヨしてる姿も見なくなったし。

 

 

聡ちゃんて、結果だけじゃなくて、マリウスくんの姿勢をほめると思う。観察眼にすぐれ、変化に敏感で、それを優しい言葉で伝えることができる、あたたかくて聡い人。そんな聡ちゃんだからこそ、マリウスくんは聡ちゃんが大好きなんだろうな。やっぱり、私は聡ちゃんが大好き!って、原点にもどれた。そして、重い名前にまどわされて、聡ちゃんに「パニック障害」というレッテルを貼って、やたらに心配したり悲しんだりして、聡ちゃん自身が今までたくさん与えてくれたものを見失っていた、ということに気づいた。

 

ちっぽけないちファンの私が、「アイドルの聡ちゃんを期待するなんて非情だ」って思うなんて、聡ちゃんに対して失礼、なのかも。確かに、今はちょっとおやすみが必要なほど弱っているのかもしれない。でも、それって弱いこととはちがう(何を弱いと定義するかは難しいし、弱いことが悪いことというわけでもないけれど)。聡ちゃんは聡ちゃんで、自立したひとりの人間で、矜持とたくさんの魅力を持ったアイドルなんだもの。信じて、待っていればいいんだ。

 

ふたつの雑誌の聡マリの言葉は、悩んでいた私に、解と、元気とやすらぎを与えてくれた。色々と思い悩んでいたことが、すぅっと浄化されていく感覚だった。

 

聡ちゃんには、マリウスくんがいるから。そして、聡ちゃんが、聡ちゃんだから。安心していていいんだ。安心して、自分本位で聡ちゃんの病気とおやすみに対する自分のスタンスを決めていい。

 

だから、私は、思いっきりエゴで願う。どうか良くなりますように。聡ちゃんが、自分自身をもっと好きになれますように。自分を大切にできますように。マリウスくんがそばにいてくれますように。笑顔で、戻ってきてくれますように。また、かっこういいダンスとセクシーな表情で観客をとりこにしてくれますように。また、Sexy Zoneに、春みたいなあたたかな空気をもたらしてくれますように。

 

聡ちゃんの快復と、帰ってくることを願って、待ちつづけようと思う。 

 

自分のスタンスが固まったところで、さびしさが消えるわけじゃない。聡ちゃんがいなくてさびしい気持ちも、聡ちゃんがとなりにいないマリウスくんに悲しくなる気持ちもあるし、それでいて、そのときそのときのSexy Zoneが見せてくれるパフォーマンスを楽しいと思う気持ちもある。それらすべて相殺せず、ぜんぶ大事に抱きしめて、これからも5人を応援していきたいな。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。素敵なクリスマスが訪れますように

 

聡マリ「Sexy Secret Talk 1on1」一部文字おこし(らじらー180721)

「Sexy Secret Talk 1on1」(聡マリが、リスナーからのテーマにそってお互いについて話す企画)の抜粋・文字起こし

 

テーマ「松島聡くんがデビュー当時から変わってないところ」

(前略)

(* '-')中身とか変わってない。やっぱり昔からすごい、なんだろ、ピュアっていうか、愛、もうほんとに、愛のdefinitionみたいな

(。^∪^)definitionて何?

(* '-')definition

(。^∪^)definition、何?

(* '-')definition

(。^∪^)definition

(* '-')あの、あれです、枠、あの、和訳でいうとあの~なんだろ

(。^∪^)要約?

(* '-')要約、ちがう、

(。^∪^)翻訳?翻訳?

(* '-')definitionていうのは~あの~定義!

(。^∪^)定義!

(* '-')なんかほんとに~愛の代表だよね

(。^∪^)あ、うれしい。代表でいいの?僕なんかで

(* '-')ぅん~、も優しくって~ほんとに人をこう憎めないよね。ん~だからそういうところがすごい好き

(。^∪^)ありがとうございます

(* '-')それは変わってない。あとは全部変わった笑

 

テーマ「聡ちゃんがマリちゃんの尊敬してるところ」

(前略)

(。^∪^)ん~弱音ね、「やだ~」とか「やだよ~」とか言うけど、やっぱり最後までちゃんとやりきるところじゃないかな。マリウスは結構中途半端じゃないね。

(* '-')ほんと~?

(。^∪^)ぅん~。なんか結構やだやだ~て言いながらもちゃんとやっぱりさ、結果を残すし

(* '-')え、ボク、たぶんSexy Zoneの中で一番グレーゾーンだよ?

(。^∪^)グレーゾーン?ハハハハ!自分で言うのそのゾーン

(* '-')一番グレーゾーンだと思うけど

(。^∪^)そうなの?

(* '-')ちがう?

(。^∪^)全然ちがうよ

(* '-')あ、よかったバレてないんだ

(。^∪^)でもやっぱり、色んな方が言ってるのが、ちゃんとやっぱり結果残してるから

(* '-')あ~…うれしいですね

(。^∪^)そこがすごいと思う

(* '-')ありがとうございます

(。^∪^)爪痕残すってやっぱり難しいことだからさ、ひとつひとつのお仕事をちゃんとものにできるって、なかなかできないことだから

 

(* '-')ちょっと聡ちゃん鼻に白いのついてる

(。^∪^)なんだろ

(* '-')ホコリっぽいやつ

(。^∪^)ありがととってくれて♡

(* '-')だいじょ~ぶ~フフ♡

(。^∪^)ハハハハなんだこれ笑

(* '-')はい、では続いていきまりう~す♪

 

ちなみに、ラジオ終盤のらじらー!さんのつぶやきは… 

 

さらにちなみに…らじらー!さんのまとめ記事はこちら 

www.nhk.or.jp

 

 *:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・

ふたりとも、まっすぐに相手の美点を伝えていて、優しい気持ちになれるラジオでした。そして、マリウスくんのちょっと弱気な気持ちを優しく包んで肯定している聡ちゃんに、やっぱり愛のdefinitionだなぁと、改めて思うのでありました。

 

 

マリウスくんの受験合格・進学と、自分自身のごく個人的な「がんばれないコンプレックス」について。

マリウスくん、大学合格・ご入学、おめでとうございます。大学入学の正式発表が掲載された新聞は二部購入しました。

合格を手にするまで、様々な苦労があり、努力を重ねてきたのだろうな、と思うと、改めてすばらしい人を好きになったのだと思います。

 

新聞より少し早めに進学先を知ったのですが、そのとき私は思わず泣きました。それは、祝意からではなく、劣等感と、自分を恥じ入る気持ちに耐えかねてのことでした。私の中にある、学歴コンプレックスとは少し違う、永らく蓋をしていた「がんばれないコンプレックス」が悲鳴をあげて起き出したからです。

 

それからというもの、ふわふわした、地に足がついていないような心地で数日を過ごし今に至っています。未だ非日常から帰ってこられていません。頭のモーターがフル稼働、思考力がギュインギュインと回転が止まらず、春らしく私生活で起きた転機も相まって、知恵熱のような頭痛もおこりました。衝動的に読むべきだと思う本を買いあさり、平生は積み上げてそのままなのに、すぐさま読んでいます。頭の中のモーターはさらに加速し、思考と感情のうごきが止まない。そんな中、たくさん考えたこと、心にきめたこと、そして改めて感じたマリウスくんへの謝意と好意を、ブログに残しておきたいと思います。

 

 

 

私には根強い「がんばれないコンプレックス」があります。何かひとつのことを、全力で成し遂げたことがない。心から晴れ晴れとした達成感を味わったことがなく、それは同時に、今も続く成功体験・自己効力感への飢えと繋がっています。そして、全力で頑張れなかったと一番後悔し、未だ胸の奥底にわだかまりが残りつづけているのが大学受験です。

人生で、受験や部活ほど「全身全霊」で頑張れて、達成感を得られるチャンスというのはなかなかないように思いますが、全てが中途半端だった気がします。大学受験は、今は廃れてしまった通過儀礼に代わるもので、成長できるチャンスである、なんて意見を目にしたことがありますが、私はそれを棒に振ってしまったと思っています。*1

 

母校に失礼のないように断っておくと、私のコンプレックスは学歴コンプレックスではありません。私は母校を愛していますし、あの学び舎で勉強できたことを幸運に思っています。ただ、本当に、母校に合格できたのは運がとてもよかったからです。誰得という話なんですが、軽く受験の話をさせていただきたいと思います。

 

私は昔から自己管理能力がなく、大学受験の時も変わらずでした。その顕著な例が、センター試験直前の冬休みにドラマを1クール分一気に見たことです。夏休みも塾をサボったことがあります。最低限の予復習しかした記憶がありません。やろうやろうと思うものの、完璧思考が強すぎて「一度始めたら完璧にやらなきゃいけない」「できない自分を直視するのが怖い」という深層心理が働いて無気力になり、どうしてもやらないと授業に支障が出る課題以外は、何もできない状態に陥っていました。幸いスマホはなかったものの、パソコンはありましから、誘惑はすぐそばにあり、つい手を伸ばしていっていました。楽な方へ、楽な方へ流されていきました。苦手科目の歴史は、秋か冬の模試で偏差値40台を叩き出してしまったものの、これほど授業外での努力がものを言う科目はなく、結局苦手を克服しないまま入試を迎えてしまいました。

 

頑張ってこなかった、積み上げがないままで迎える受験というのは、恐怖でしかありません。ドラマやら物語で大舞台の本番前に、気持ちを落ち着ける時によくいう「あれだけ頑張ったんだから」の「あれだけ」が自分にはないわけですから。何も装備を身につけずにモンスターを倒しに行くようなものです。恐怖で連日眠れなくなり、眠眠打破片手に最悪のコンディションで入試を受け続けました。ただでさえ知識の貯蓄がないくせにコンディションも最悪ですから、手応えなんであるわけもなく。絶望的な気分でいました。

 

そして、第二志望の大学の受験の日。その学校は、1回も行ったことがなく、この日が初お目見えでした。キャンパスに入り、大学全体の雰囲気を感じ取った瞬間、私はそのキャンパスの虜になっていました。大学がバレるのが怖くて詳細はお伝えできませんが、とにかく「ビビビッ!」ときて、胸が高揚し、目の前の景色がぱぁぁぁっと鮮明になった心地がしたのです。第一志望校の文化祭やオープンキャンパスでさえ感じたことのない感覚でした。突如、「なんて素敵な大学なんだろう!絶対ここに入りたい!!!」と思い、眠眠打破を多量に必要とするような体調にも関わらず頭が冴え渡ってきました。そして試験がスタート。突如燃え上がった私の情熱に応えるかのように、運の女神様も味方してくれました。国語に、直前に授業で扱った文章が出たのです!英語も今までにないほど集中し、頑張って解きました。今までは冒頭からくさっていた歴史も、この時ばかりは問題に食らいつきました。そうすると、普段ではぜっっったい解けないような問題も、脳の奥の奥の奥にある記憶を無理くり呼び覚まし、歴史用語を引っ張りだしてきて、なんとかいつもよりは解け(たような気がし)ました。この時ほど、「やりきった!」と思える入試は、第一志望校を後に控えていたものの、ありませんでした。正直、実力以上のものが発揮されたと思っています。

 

そして、何とか第二志望校に合格。第一志望校には不合格だったものの、結果に対して不満はありませんでした。(母校を志望し、コツコツと精進を重ねてきた方々には申し訳ない限りです。ごめんなさい。)

 

けれど、結果オーライだっただけであって、結局受験を通して、私はほとんど努力をしなかった…。「がんばれなかった自分」という悔恨が心に刻まれました。それを払拭しようと、入学後はサークル活動に精を出すも、これもあえなく挫折。アルバイトも中途半端。「何ごともがんばれない自分」というネガティブなセルフイメージができあがり、「自分はダメな人間だ」と自己否定をする思考癖が少しずつ、少しずつ常態化していきました。

 

それは、就職後により一層加速していきます。何もがんばれない自分が嫌で、そんな自分を変えたくて。自分に不足しているスキルを磨きたいし、趣味の能力もあげたいという意欲もそれなりにはありました。資格勉強のための参考書を買ってきて勉強しようともしました。根本から自分をかえようと、自己啓発本を読んで自己実現を果たすべくその内容を実行しようともしました。けれど、その全てが継続することなく挫折に終わりました。変わりたい、頑張りたいという意欲を遥かに上回る無気力感。ネットサーフィン、睡眠、楽な方に楽な方に行ってしまう。何もかもが面倒くさい。そんなことの繰り返しで、もう自分のことが相当嫌いになっていたと思います。何か「楽しい」と思うことがあっても、「本当はあれを頑張らなければならいのに頑張れていない」と、心の底から楽しむことができませんでした。仕事で度重なる失敗に対しても、生産性のない自己否定を繰り返すようになりました。その先にあったのは病気でした。

 

病気を契機として、私はたくさんのことを学んで、自己否定をやめることができました。歪んだセルフイメージも正すことができました。自分の心を自分で支えるには、まともな生活を送るためには、自己肯定を基本とした心の安定が大切だと学びました。

 

社会復帰してからは、新しいことへチャレンジするというよりは、日々の生活と新しい仕事に集中して過ごしてきました。その中で、私は、ダメにならないように、生きるために、自己肯定に努めました。体力がなくて、やたらたくさん眠る体質で、ストレスがたまるとすぐ病院が必要になる。でも、そんな自分を責めずに認めました。調子が悪いときは、「出社できただけで立派」と自分を褒めました。新しいことを始めてみて続かなくても、「3日坊主でも、3日続いただけすごい!」と励ましました。自分を認めなきゃ、膝からくずれおちる。前に進めなくなるから。前職のように、自罰的になって自分を悲観してそこから動かなくなるのは、甘えだと気付きました。できそこないの自分を肯定する(自分の粗探しをやめる)ことで、人として重大な誤りを犯していることを見過ごし、一人ぼっちになるのでは、何かとても恐ろしいことが起こるのではないかと戦々恐々としていましたが、それは杞憂に終わりました。転職してから数年間。自己肯定を繰り返し、心の安定を手に入れ、趣味も楽しむことができ、やっと人生が楽しい!と心から思えるようになってきました。

 

 

でも、そうして心おだやかに日々を過ごすうちに、「本当に、それだけでいいの…?」って、どこかで誰かが耳打ちしてくるような心地がしていました。

 

 

そんな折に、目にしたのが、マリウスくんの大学合格の知らせでした。

 

 

その瞬間、どうしようもなく自分が恥ずかしくなったのです。まさしく、本当に、マリウスくんの姿は、私の「こうなりたかった」姿そのものでした。ハーバードのセミナーへの参加、英検、雑誌で時折話す勉強についての話…。それらが頭を駆け巡って、本当に、本当に、勤勉に、コツコツと努力を積み重ねてきた人なのだと。しかも、虚栄心からくるものでも、自分のためでもなく、そのもっともっと先の、たくさんの人たちを思っての志を胸に頑張り続けてきた、尊敬すべき立派な人なんだ、と。

この時ばかりは、自己肯定とかどこふく風で、自分を恥じ入りました。そして、劣等感に押しつぶされそうになり、苦しくて涙が溢れました。今の自分を否定したいわけではありません。でも、やっぱり、やっぱり、心の奥底に、「ちゃんと、何かを、がんばりたい、がんばり切ってみたい…!!」という気持ちがあったのです。大学受験時に果たせなかった、努力を積み上げて、それに見合った成果を手に入れ、手放しで自分を認めたい、誇りに思いたい、達成感を得たい…って。「がんばれない」コンプレックスが、私の中にはまだ息づいていて、強烈に自分に訴えかけてきて、その存在に気づかされました。そして、本当は、もっと自分のここをこうしたい、ああしたい、という具体的ながんばりたいこともあったのです。

 

それから、私は考えました。コンプレックスを解消したいなら、現状の自分を認め肯定するだけでは、現状維持だけではダメです。でも、だからといって自己否定をモチベーションにしてスタートする努力はありえないと今まででの人生が証明しています。今のありのままの自分を認めつつ、その自己肯定の力をバネにして、階段を少しずつ、登る必要があるのだ、と思いたりました。 方法論、体力づくり、学ぶべきことがたくさん見えてきて、勢いに任せて本をたくさん衝動買いして、早速手にとって読んでいます。

 

思考をフル回転させつつ、行動も自然と伴い、この数日間、アドレナリンが放出されっぱなして、不思議な心地で過ごしています。そして、自分の中に、確固たる気持ちが芽生えていました。

 

今度こそ、コンプレックスを乗り越えよう!!!って。

 

そしてそれは、自己否定をのりこえ、自己肯定できるようになった今だからこそ、向き合える壁なんだと思うのです。きっと、今の自分なら、挫折しかけた時、恥ずかしくて、ばかで、惨めな気持ちを、素直に受け止めて、自分はだめだとならずに継続のための一歩を進められると思う。マリウスくんの大学進学は、私の奥底にしまい込んだコンプレックスを、絶妙なタイミングで呼び覚ましました。そして、やっぱり思ってしまう。私は、マリウスくんを、好きになるべくしてなったんだろうなぁ、と。

 

マリウスくんはいつだって私の尊敬する人で、目標で、指針で、マリウスくんがMEKURUで語っていた、「自分はこういう人になりたいっていうの」というアイドルの定義そのものです。そして、新聞で「悩みなどを克服するきっかけとなるような、勇気づけられる存在になりたい」とあるけれど、もう、すでに、マリウスくんは私にとって、そういう存在です。

 

きっと、近い未来、マリウスくんが大学について話すたびに、劣等感がちりりと痛んで、苦しくなると思う。でも、それと同時に、私もがんばろうと思える自分でいられるようにしよう。そして、たくさんがんばって、マリウスくんのおかげで、たくさんの壁をのりこえられた、って、言えるようになりたい。そして、その乗り越えた先で、わずかでもいいから、人に奉仕できる自分になっていたい。自分自身のため、マリウスくんに感謝するため、人のために。

 

今、やっと動き出した自分のエンジンに任せてもう少し行動を続けてみようと思う。そして、どうかどうか、この決心が風化しませんように。

 

 

*最後に*

 

マリウスくんの誕生日を迎えるにあたり、改めてマリ担としてどう生きるべきかを考えるべく、手に取った「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)を読んでみて。そこには、私が心底知りたかったことが書かれてありました。要約すると、「本当に人類の役に立ち、万人から尊敬されるだけの発見というもの」をするために、まず私たちは、「できるだけ学問を修めて、今までの人類の経験から教わらなければならない」。なぜなら、「いろいろな学問は、人類の今までの経験を一まとめにしたもの」だから。自分が発見したと思ったものは、すでに先人が発見している場合があるから、まずは学問を修め先人の経験を学び、その上で新たな人の役に立つ発見をすることが肝要、とのこと。

 

そして、同じ章で、こうも語られています。「人類が今まで進歩してきて、まだ解決のできないでいる問題の一つ」として、「これほど人類が進歩しながら、人間同志の争いが、いまだに絶えない」問題があり、人と人との関係は、「人間らしくなくっちゃあいけない」と。「人間が人間同志、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、他にありはしない。そして、それが本当に人間らしい関係だと」。

 

どの言葉も、すぅっと胸に沁みこんでいきました。そして、どの言葉にも、デジャブを感じ得ずにはいられませんでした。マリウスくんが、雑誌などで語っていたこと、そのものだと思ったのです。勉強をする上で、その出発点となる大事な考えを私はマリウスくんとこの本で学びました。そして、同時に、学校で勉強することの意義を今更ながら痛感しました。受験のため、成績のため、虚栄心のため、単位のため…本質からずれた目的のために、表層をなぞるような勉強を、たくさんしてきてしまったと後悔するとともに、勉強し直そうとも思いました。

 

マリウスくんは、大事な大事な勉強の意義を、すでに知っている。本当に、本当にすごいことで、それを理解した上での勉強というのは、どれだけマリウスくんの血肉となり、多くの人へ影響力をもたらすものなのだろうか。それを考えるだけで、未来へのポジティブな気持ち、希望に胸が満ちてきます。

 

そしてそして。マリウスくんの受験勉強は、本当に本当に大変だったとは思うけれど、その苦労を、さも「苦労しました」という風に語ることなく、会報などで語るときも、からりと語っていて、すごいなぁと思いました。がんばる姿を見せない、とかとはまた違い、がんばる姿勢に悲壮感がなくて、逆にポジティブなパワーをもらえる。本当に、本当に、素敵な人だなって、大好きだって、思いました。

 

マリウスくんの大学生活が、マリウスくんにとって、幸福で意義深いものでありますように。

 

 

 

 

*1:「大学受験 通過儀礼」で検索すると、このような記事がありました。

進路のへや: 受験勉強は大人への通過儀礼

マリウスくんを好きになって1年間の効能まとめ

こんにちは!!マリウスくんを好きになって1年と2ヶ月ほどたちました。ざっくり1年間ということで、備忘録的に、この1年間でマリウスくんを好きになった身に起きた変化をまとめておこうと思います。

 

①健康になった!!その1

1番の変化は、カウンセリングに行かなくなり、病院通いもなくなって、とっても健康になったことです。

 

以前の私は、ストレス耐性の弱さと極度の心配性から、カウンセリングに時々通っていました。また、ストレスの影響が身体の様々な器官に出てしまい、一週間で病院2件行って、カウンセリングも行くなんてこともありました。出費もとんでもないことになっておりました涙

 

それが、今はだいぶ元気になりました!なんでだろ?って考えたときに、職場のサポートはもちろんですが、マリウスくんの力もとっても大きかったと思います。

 

前の職場の人事の人にも同期にも言われたことですが、ストレスでつぶれないためには「仕事は仕事とわりきる」「仕事とプライベートを切り替える」「会社の外に出たら仕事のことは考えない」ことが大事です。でも、私はそれが全然できませんでした。でも、マリウスくんに出会って、それが少しできるようになったんです。仕事が終わってからラジオを聞いたり、雑誌を読んだりすると、そちらに意識が集中して、「ふわっ」と、頭から仕事のことが抜ける瞬間があるんですね。その一瞬の「ふわっ」が、すごく大事で、仕事のことでぐるぐるしていた自分の頭が換気されて整理整頓されていく感覚があるんです。

 

そうしたら、頭がリフレッシュされて、よりポジティブな気持ちでまた仕事に臨めるんです。くよくよ思い悩むことも「まぁ、なんとかなるだろう!」と思えることが増えました。

 

また、テレビ出演、コンサート、CD発売など、楽しみなことがコンスタントにあるおかげで、それに向けてがんばろう!と思えました。生活に、お楽しみイベントが断続的に加わることで、自分の生活にいいリズムができていきました。ストレスが軽減されて、楽しみなことがたくさんあるおかげで、とっても元気になることができました。

 

②健康になった!!その2~人に依存しなくなった~

ざっくりいうと、大体のことは自分の中かマリウスくんの中に答えがあるので、人に依存しなくなりました…と、文面におこしてもわかりづらいですね、むむむ…。

 

結構、人を妄信しやすくて、依存して、情緒不安定になってしまうタイプだったんですけど、それがなくなってきました。加齢により、それは大人げないぞ、という意識が強く働くようになったのもあるのですが、マリウスくんという自分の「こうなりたい」という理想の人物に出会ったことも大きいのでは、と思います。

 

思い悩むことがあったら人に相談したり、愚痴ったりしていましたが、今は、愚痴っても根本的な解決にはならないこと、悩んでいることに対して結局自分の中で答えが出ていること、がわかってきました。ただ、自分と自分で対話して自分の中にある答えを見つけ出し、それを肯定し、決断するという一連の流れをひとりでやりぬく胆力がたりなくて、人に過度に頼ってしまっていました…。時には人を振り回したり、期待に相手が応えてくれなかったら勝手にいら立ったり。とっても精神衛生上不健康で、周りの人を大切にできていなかった。

 

でも今は不思議と、その胆力があるんです。(まあ、時々は愚痴るし、相談もするけれど、頻度は減ったと思います。)先述のとおり、自分の中に「大人としての責任感」みたいのが芽生えたってのもあると思うんですが、それだけじゃないんだ、多分。マリウスくんは、私の中で正しさの尺度というか、尊敬する人物、規範です。ものごとの判断基準が不安定だった自分に、「マリウスくん」という尺度が加わることで、一本芯が通った気がする。マリウスくんを信じている自分は間違ってない、ずれてない、って思ってるところがあるんじゃないだろうか。

 

そして、マリウスくんの言葉や、雰囲気から溢れ出る包容力に癒され、元気をもらえていたから…自分を保っていられたんだろうなって、思います。(あと、セクゾさんの音楽にもたくさんの元気をもらっていました。ここが正念場!!というところで、セクゾさんの音楽はとても力になってくれました。)単純に、依存の矛先が周りの人間からマリウスくんに向いたって言っちゃったらそれまでだけど…それだけじゃなくて、もっと根本的なところで、少し成長できたんじゃないかな、と思います。なかなか自分の中でもすっきり言語化できないんですが、うん、そんな感じ!

 

②お金を大切にするようになった

アイドルをおっかけるのは、お金がかかる!笑

 

CD、チケット代、コンサートに着ていく洋服代…。私、びっくりするくらい生活力がないし継続力もないんですが、昨年サマパラへの参加決定を機に、お弁当をなるべく作るようになりました。

 

500円以上のお弁当を買う事に何の抵抗も前はなかったけれど、最近は高いな~って思うようになりました。仕事が忙しいときやストレスフルのときは相変わらず金銭感覚がおかしくなりますが、それでもだいぶ、お金を大切に使うようになった気がします。

 

同じだけお金を使うにしても、浪費するんじゃなくて、より自分のためになるお金の使い方をできるように少しずつなってきたかな、と思います。まだまだですけどね…平気でペットボトル毎日買っちゃうし。

 

 

固定観念に疑念を抱くようになった

これは、私のブログではいつも言っているので今回はさらっと書きますが。

 

女はこうあるべきとか、男はこうあるべきとか、そういう古い固定観念は疑うようになったし、人を下げる笑いはだめなんだな、とか…はっと気づいたり。そういうことがたびたびあって、自分のものの考え方や言動に少なからず影響を与えています。

 

④喪女を卒業しようと思った

ありがたいことに、twitterで知り合った方々とたびたび遊ばせていただくようになりました。

 

皆さんかわいらしくて、身だしなみに気をつかわれていて…。なかなかの喪女である私、内心ちょっと自分が恥ずかしいな…というか、きちんとしないとな、と思うようになりました。

 

まだ思っているだけなんですが、少しずつ行動に移していこうと思ってます。なかなかそこまで気が回らないんですが…健康になれてきたので、次は身だしなみも整えられたら、いいな!!!

 

以上です!!できれば、皆さんのbefore afterなエピソードもたくさんきいてみたいです。

マリウスくんの成長と聡ちゃんと。

あけましておめでとうございます!!皆様はもう聡マリ大賞は読まれましたか?聡マリ大賞の感動が覚めやらず、昨年末に感じた聡マリを書かせていただきま~す!!(酔っぱらいテンションすみません。)

 

マリウスくんの外見の成長と、それに対する聡ちゃんの態度、というお話です。

 

私は、一昨年の末にセクチャンきっかけでセクガルとなり、すぐにマリウスくんにどはまりしました。そして、正直いうと、外見についてはセクチャン期のマリウス君が一番好きかな、と思いつつ「今のマリウス君が好き!!」と本心に蓋をしていました。

 

セクチャン期のマリウスくんのいえば、ふわふわの前髪に、華奢な体つきに、少し低くなったもののまだまだ高くて甘い声に、風磨君よりも低い身長!!まさに儚げでかわいくて美しい少年。仕草も子供のようなかわいらしい感じで、もうわしゃわしゃもちゃもちゃしたくなる愛くるしさ!!!!

 

でも、一昨年の末から追いかけ始めたリアルタイムマリウスくんは、セクチャンのころに比べるとぐっと大人っぽくなっていました。前髪をあげることも増えて…はっきりとした眉があらわになることで、甘い顔つきに精悍さがスパイスとして加わって、かわいらしいだけでなくよりハンサムに、美しさに磨きがかかった感じ。声もさらに低くなり、セクチャン期よりも堂々とした高貴な雰囲気。美しくてとても好きでしたが、それでも脳裏にちらつくのはかわいさ120%のセクチャン期のマリウスくん。前髪さげてさげてと何回思ったことか。尻ウスくんも、正直いうと、細い方が好きだなって思ってました。でも、内面のかわいらしさや崇高さは何も変わっていなかったので、特に外見の変化に対するわだかまりにそこまでこだわる必要もなく一年間追っかけ続けていました。

 

しかし、マリウスくんの外見の変化と、自分の気持ちに真正面から向き合う出来事が。

 

クリスマスイブ、ありがたいことにマリ担の方とDVDを観賞しながらチキンとちゃんこをいただき語らう…という非常に楽しい時間を過ごしておりました。そこで、私は見てしまうのです、

 

Welcome to Sexy Zone Tour を…!!!!

 

私は昔の映像はあまり見ないようにしており、ライブDVDも去年のサマパラ、STAGEしか所持しておりませんでした。そんな私が、マリウスくんが15、16歳のころの映像を、セクチャン期から少したったころのマリウスくんの映像を、見てしまったのです…!!!もうね、とにかくね、

 

ほっそ!!!!

 

ほそい!!!!!!!

 

もう何度その時連発したかわからない言葉。ああ、わたし元来男女問わず華奢な人が好きなんだ、そういえば…と自分の好みを思い出しました。華奢な細腰からすらりとのびた細い脚のGパン姿に釘付け、メロメロでした。

 

でもね、でもね…なんか、なんっか違和感があるんですよ、何かが違うってね…。

 

そう、今のマリウス君が持っている神々しく、かつあたたかな包容力、オーラみたいなものを…圧倒的な美しさを。まだこの時のマリウスくんは内に秘めている感じ…。

 

その時気づいたんです、

 

なんだ、私、常に今のマリウス君の外見が一番好きなんだなって。

 

もちろん、過去のマリウス君も大好き。過去、現在、未来の可能性、すべて含めてマリウス君という存在が好き。でも、今のマリウスくんが一番すきで、そのマリウス君を形作ってきた過去のマリウス君も大好きという感じ。

 

それに気づいたとき、すごく気持ちが楽になりました。心のどこかで抱いていた「結局は昔のマリウス君の外見が好きな自分」への罪悪感がすぅっと消えたから。

 

これで一件落着、めでたしめでたし…と終わらないのが私の性。では、なぜセクチャン期のマリウスくんの外見に固執していたのか…?と考えて、気づいてしまった。

 

セクチャン期の外見の方が、メンバーが、わかりやすく、マリウスくんをかわいがっていたから。これが全てではないだろうけど、大きな原因のひとつだと思う。

 

何せ、マリウスくんにはまりたての頃、私が一番興味をもった組み合わせは風マリだった。セクチャンのガム会議の前には風磨くんの膝に座っていたマリちゃん。バスの中で風磨くんに髪をわっしゃわっしゃなでられてもみくちゃにされていたマリちゃん。沖縄ではあごをなでられながらたしなめられていたマリちゃん。某動画サイトでは、風磨くんにくすぐられまくってほにゃほにゃになってしまうマリちゃん…。

 

わ~かわいい~!!!!かわいいの渋滞だ~~~!!!!洪水だビッグバンだ~~!!!!!!

 

ちなみに、私がスマホで一番最初に保存したセクゾさんの画像は、健人くんが小さなマリちゃんのほっぺを人差し指と親指でぷにっと挟んでいるやつです。芸術的かわいさ。

 

世界一、宇宙一かわいいと思っているマリウスくんが、とってもとってもたくさんたくさん可愛がられ甘やかされている世界!!!マーベラス!!!プレシャス!!!わんだほーーーー!!!

 

世界一可愛い自担は、やっぱり世界一可愛がられていてほしいんですよ。その意味で言ったらセクチャンは最高でした。(過度ないじりは嫌だけど)ふまけんお兄ちゃんにたくさん可愛がれていて、末っ子天使大爆発してた。

 

でもね、それが、リアルタイムでマリウスくんを追いかけ始めたとき、なんか、ふまけんとの距離感が、特に、あんなに好きと思っていた風マリの距離感が、QRをきいたとき、がらりと変わってた…。あ、甘やかしてくれない…!!!てか、冷たい?え、え、え…

 

悲しい…。

 

さびしい…。

 

今現在、風マリの距離感はまたこのころとは変容していて、もどかしくもくすぐったい雰囲気になってきたな、と思っているんですが。このころはとってもショックでした。

 

身長がメンバー内で一番大きくなって。顔つきも大人びてきて。中身は天使の末っ子だけど、外見は実年齢以上に見えるように立派に成長したマリウスくん。その外見の成長は、少なからずメンバーのマリウス君への態度に影響を与えたんだと思う。

 

それは、なんだか、とってもさびしかった。

 

外見がどんどん大人びていくけれど、中身はまだまだ甘えたい盛りだったかもしれない。外見の成長に、怖くなったことも、外見と中身の乖離に悩んだ事も、あるかもしれない。そんなときに、外見の変化にあわせて周りの態度が変わってしまうってのは、とってもさびしかったんじゃないだろうか。と、邪推してしまう…。まぁ、単純に私が寂しかったんだけど。

 

メンバー全員が、マリウスくんのことを大切に思っているのは伝わる。根底にある愛情が変わるわけないことくらい。でも、その愛情表現が変わってしまったのは、やっぱりさびしかった。内面はまだまだ甘えん坊でかわいらしい分。メンバーもきっと、戸惑いがあったとは思うんだけれど。さびしかったの!やっぱり!!

 

そんな中、マリウスくんの外見の変化に関わらず、マリウスくんに変わらない態度でいたのは、聡ちゃんなんじゃないかな、って思う。(正直、鈍感で、セクチャンで聡マリがシンメとすら気づかなかった私だけれど、聡マリが昔から「あった」のは聡マリ大賞などで勉強させていただきました。)

 

何回も、「かわいい」って言葉に出して言っていた。そして、目がね、目が「愛おしいもの」を見る目だった。触れる指先が、「大切なもの」に触れる手だった。言葉、目、仕草でマリウスくんに対して「わかりやすく」好きを伝えていた。

 

聡マリけんかラジオでの不機嫌な聡ちゃんも、なんか、わかりやすく「好き」の裏返しだったと思う。

 

聡ちゃんはマリウスくんの外見の変化を受けいれて、そのうえでマリウスくんの本質的なかわいさを、言葉にしてずっと伝えていた一年だったと思う。これは妄想だけど…聡ちゃんて人の弱ったり繊細な心に寄り添うことを、経験的な学びと先天的な賢さと優しさからできる人なんじゃないかって思ってる。コンプレックスと迷いだらけな印象を受けるけど、だからこそ、人の気持ちを経験的にわかるし、それを生来の優しさから寄り添って癒してあげられる人なんじゃないかって。

 

聡マリのときのマリウスくんが、一番自然体で、かわいくて、美しくて、かっこうよく見えた。一番、好きだった。

 

察し察することって大事だし素敵だと思うけれど、やっぱり言葉でわかりやすく伝えることって大事だと聡マリを見てると思う。聡マリ大賞を読んで改めてそう思った。お互い、上手でなくてもきちんと思いを言葉で伝え合ってきたからこそ、愛情に溢れた関係性でいられるのではないかと思う。

 

もしからしたら私、聡ちゃんのおかげで、マリウスくんの外見の変化にそこまで憂慮せず楽しく一年間をすごせたのかもしれない。

マリウスくんも、聡ちゃんのおかげもあってこそ、自分を肯定しつづけられているのかもしれない。

 

とにもかくにも、聡マリ大好き!!!2018年、お二人がますます素敵な男性に成長していくことを願っています。

 

マリウスくんの好きなところ。

最近刊行された数々の雑誌の記事内容がとっても素敵で、好きの気持ちがとまらず。またしてもマリウスくんへの熱いパッションを綴りたいと思います。(前回よりも個人的な話や妄想が多めかもしれませんので、ご注意ください。)

 

前回、マリウスくんの好きなところについて、以下をしたためました。

 

①悲壮感がないところ

②自己肯定感のあるところ

③多様性を認めているところ

 

今回は、

 

①貢献という志

②やわらかさ→ポジティブな空気感、柳のような在りよう

 

についてお話させてほしいです。

 

①貢献という志

ドイツからはるばる日本へやってきて、「人を幸せにしたい」という夢を持ち続けているマリウスくん。口で言うのは簡単…と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、言うのはもとより、心から思うことすら難しいと思います。しかも、マリウスくんのように幼少のころからそのような奉仕の精神を持つのは並大抵なことではない。

 

私は、マリウスくんと同じで他者に貢献したいという気持ちが割と強いです。職業興味検査で、「奉仕」の項目の数値が抜きん出ていたときは驚きました。でも、そういう風になったのは実に最近のことで、色々な経験をしたからこそ。

 

社会人になって初めて入社した会社で心身ともにぼっこぼこにされ、ぼっこぼこになったまま退社しました。ボロボロの状態から回復にいたるまで、たくさんのことに気づきました。在職中、ずっと弱音を聞き続けてくれた同期、回復を辛抱強く待って助けてくれた家族…。プライドなんて完全に打ち砕かれてボロボロになったことで、自分の無力さと周りの支えを思い知りました。周りの人間に支えられ、周りとの人間関係の中で私は生かされているのだと痛感し、感謝しました。何事もなく生きているというだけで、それは人の支えの上に成り立っていることだったんです。

 

そこから、自分が受けた恩をまた誰かに還元していきたい、という風に思うようになったのですが…ボロボロになる前の自分なら、「殊勝なこと言っちゃって笑」と鼻で笑っていたかもしれません。

 

先日の雑誌でマリウスくんは、

 

人間はひとりで生きられないし、他人がいるから自分は存在する。だから僕は、人を幸せにできる存在でいたい。

(引用元:モア 2017年号増刊)

 

と述べていました。私が痛い目を見て初めて体得できた真実を、マリウスくんは既にわかっている、知っている。その賢さと崇高な精神性を敬わずにはいられません。MEKURUという雑誌のインタビューで、なぜ「人を幸せにしたい」という考え方を13歳(当時)でできるのかと問われ、自分がこうなりたいと思ったスタートはお母様だった、ということで自身が生まれた時について語っています。マリウスくんが生まれる時、お母様は危険な状態だったそうです。そのことを聞いたとき、

 

自分はほんとに家族に愛されてるし、大切にされてる気がして。

と思ったマリウスくん。そして、こう続きます。

それをみんなに伝えたいって思うんです。”ぼくだけじゃないんだよ、みんなが大切なんだよ”って。 

 (中略)

ひとりひとりに意味があるんだよっていうことをわかってほしい

(引用元:MEKURU 第2号 特集 10代という季節)

 

この経験がマリウスくんが人を幸せにしたいと思った出発点、ということだと思います。貴重かつ希少でとても大変な経験とはいえ、この経験から奉仕の精神が生まれたのだとしたら、ひとつのことから深くを学び取る賢さと感受性の強さを感じます。でも、マリウスくんの人を幸せにしたいという気持ちは、学びや経験から得たものだけではなく、先天的に持っている慈悲深さもあるのではないかな、なんて思います。まさに神の御使い、ですね。

 

勝手なイメージですが、ひとって愛情が注がれるためのコップみたいなものを持って生まれてくると思うんです。そのコップを、親や周りの人から愛情を注がれたり、自分で自分を認めることでいっぱいに満たしていく。そしてコップが満たされて初めて、他者に奉仕・貢献しようと思えるんじゃないかなって思うんです。幼少のころにそのコップを満たせなかったひとは、自己肯定感が低くて何かに依存して振り回されたり、自己承認欲求を満たそうと躍起になったり…なかなか周りに目を向けられないんじゃないかって。コップを満たすことに人生の大半を使ってしまうひとだっているかもしれない。私はまさに、先述のボロボロの状態から回復する過程で、このコップを満たすことができた感じでした。コップを満たすまでが人生の第一ステージ。そこからが第二ステージ、と私は考えています。マリウスくんは幼少のころにはすでに人生の第二ステージを生きていた、と考えるとすごいなぁと改めて思います。

 

また、モアでの言葉は、以下のように続きます。

この思いはメンバーも同じ。『今日も誰かを幸せにできたらいいな』って毎朝思ってます♡

 

 「人を幸せにする」という一見すると壮大な夢で、遠くばかりを見て足下や周りが見えなくなる…なんてことがあったって不思議ではない気がしますが、そんなこと一切ない。周りの人を大切に、ファンを大切に…幸せを身近な人から伝播させていくマリウスくん。素敵だなぁ思います。

 

他者への貢献を目指して日々自己研鑽を続けるマリウスくん。その姿は美しく、気高く、自分もがんばろうとたくさんの勇気をいただいています。

 

②やわらかさ→ポジティブな空気感

 

マリウスくんからは、ポジティブでやわらかな空気を感じます!うまく言えないのですが、私には苦手と感じるポジティブさがあって。本屋さんに平積みでたくさん並んだ自己啓発本とかに感じるもの。「自己啓発!自己研鑽!キラキラー!!」みたいな…うまく言えないのですが、押し付けがましいプラス思考が苦手です。真夏のギラギラした太陽光線みたい。

 

マリウスくんのポジティブさは、やわらかな日だまりのよう。そこにいるだけで、存在を肯定されているような気持ちになります。なんでこんな気持ちになるんだろう?と思ったときに、自己肯定感がマリウスくんにはあるからかな、と思い至りました。自己肯定感のある人って、余裕があって、他者に寛容なイメージ。傷つくようなことを言われても、根っこの部分は揺らがない。だから、安心してこちらも自己防衛せず心を開ける。

 

先日、雑誌で

 

ボクは自分のすべてが好きで

(引用元:POTATO 2011年11月号)

 

と述べていたマリウスくん。あぁ、素敵だな、やっぱり好きだな~!!と思いました。

 

ちなみに、マリウスくんに感じる安心感には既視感があって、それは大好きなカウンセラーの方と話しているときと同じものでした。あたたかくて、にこにこしていて、「大丈夫なんとかなるなんとかなる」という鷹揚さがある。その雰囲気とマリウスくんが被るんです。

また、カウンセリングに求めることとして、やっぱり理解されたいっていうのは強いですが、色々と脅迫的に心配性な私はそれ以上に「大丈夫!」って言ってほしくて。たくさんの「大丈夫!」の声をかけ続けてもらっていました。その「大丈夫」が積み重なって、人生に対して怯まずに進めている。そして、マリウスくんの言葉、パフォーマンスからも私はいつも「大丈夫」というメッセージを感じています。総マリサマパラで、ふたりは

 

貴方自身にどんな事があろうとも、僕たちが付いています

(引用元:月刊ソングス 第15巻第10号)

 

と言ってくれました。そのメッセージを旨に、がんばれている自分がいます。

 

②やわらかさ→柳のような在りよう

唐突ですが、”レジリエンス”という言葉が好きです。この言葉を知ってから、ああ、こういう風になりたいなぁ、と思うようになりました。以下、レジリエンスに関する引用です。

 

「一般的に“心が強い”とイメージするのは、“鋼のような”、“跳ね返す”、“硬い”、“頑丈な”というイメージを持つが、レジリエンスというのは、楽観性のように自分のいる状況に対して前向きに、不安とかそういうものに打ち負けないでしなやかにこなしていく。
そういう心の持ちようがレジリエンスだということが、研究の中でだんだんと明らかにされてますね。」

(引用元:http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3486/1.html

 

私がこの言葉を知ったとき、教えてくれた方は「柳のような心」とおっしゃっていました。逆境に対して、しなるように形を変えて、またもとに戻る柳のような柔軟性のある心。そういったものを私も持ちたい!と思っています。そして、マリウスくんを見るたびに、この言葉を思い出すんです。

否定されても根っこの部分まで揺らがず、自分を保っているような…しなやかなイメージ。自分が傷つかないように自分を鎧って、武装して、感受性が乾いてしまったような大人をたくさん見てきました。一方、マリウスくんはオープンで、泉のようにイマジネーションや愛情が湧き出ているような印象を受けます。傷つかないためというより、傷ついたり逆境が起きたときに対応できるだけの技能や選択肢をたくさん身につけていっているように見えます(大いなる妄想との自覚はあります)。

 

そんなマリウスくんの在りように、憧れますし、尊敬しますし、大好き!!という気持ちが止めどなく溢れてきます。

 

…最後に。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。マリウスくんのパフォーマンス、言葉、勉強に邁進する様子を見るたび、「人を幸せにしたい」という志を実現しつつも更なる高みを目指して歩を進める姿に感銘を受け、また、たくさんの癒しをいただいています。こんなにも好きでいさせてくれるマリウスくんに、改めて感謝します。

 

w-inds.の四季が好きすぎて10年以上聞き続けている私がその魅力を伝えたい!

0.はじめに
 
当記事をご覧いただきありがとうございます。早速ではございますが、論より証拠、百聞は一見にしかずということで、早速こちらの動画をご覧ください。
 
いかがでしたでしょうか?この楽曲は、2004年10月6日に発売されたw-inds.のシングルです。私がこの世で一番大好きな歌で、w-inds.のファンになったきっかけの歌でもあります。私はこの歌に出会って以来、10年以上毎日のように聞いています。1週間も聞かないでいると、メンタルの調子が悪くなるのでその後浴びるように聞いたりすることもあります。受験、入学、卒業、就職、退職、再就職…自分の人生の節目節目にはいつも四季があり、寄り添い、支えてくれています。このすばらしい歌(およびPV)の魅力、好きという気持ち、感謝の気持ちを再確認したく、当記事をしたためさせていただきます。ただ、100%主観なので、お読みくださる方と考えや感じ方が食い違うことがあるかもしれませんが、お許しく ださい。また、w-inds.をご存じない方でもわかるよう、w-inds.についての紹介もいたします。
 
では次から、私がこの歌に魅了され、生活の一部となる過程とともに、この歌の魅力についてまとめていきます。
 
 
1.淡々と切なく、そして美しい歌詞
 
私が四季に決定的におちた瞬間というのは、忘れもしない2005年1月2日のことでした。友人と集まりカラオケで遊んでいる時のことです。当時w-inds.が好きな友達が、四季を歌いました。カラオケでは画面に映る歌詞をしっかり読みながら聴くタイプでしたが、この時は、歌詞が流れ出すやいなや、いつもより一層食い入るように画面を見つめていたと思います…。
 
電撃が走った心地がしました。青天の霹靂とはまさにこのこと。あまりの切なく美しい歌詞に魅了され、あっけにとられました。とにかく「え!?すごい!すごい…」としか言えず。「w-inds.ってこんなにいい歌を歌っていたの!?」と衝撃を受けました。ソファーの上で仰向けになり、まさに仰天しました。
 
四季の歌詞はこちら↓です。

http://j-lyric.net/artist/a000606/l002d44.html

 
四季の移り変わりとともに、男女の出会いから別れまでを、男性が過去を振り返る形で描いています。四季折々の情景描写とともに男女の甘くときには切ない恋模様が織り交ぜられています。そこに、男性の別れたあとの俯瞰した視点での後悔や悲しみの念が随所にちりばめられ、物語がより一層情緒的、幻想的に感じられます。
 
この歌詞でとても好きな点としては、第一に淡々としていることです。その淡々としたところが逆に男性の痛みを感じさせ、切なくさせます。四季の歌詞には、激情というものがないように思います。女性への情念も、後悔も、深さはあるけれど激しさはありません。押し付けがましさや自己陶酔というものがない。「君がいない四季を渡るよ」というところからも、別れを悲しんでいるけれど未来を見据えており、ただ一時的な激情に流され酔っているわけではないことがわかります。だからこそ、素直に男性の気持ちや回想が自分に沁み入ってくる。いかに純粋に彼女を愛し、彼女と過ごした時間を大切に思っていて、彼女がいないことに失望しているか、ということが切々と伝わってきます。また、それでも 彼女のいない未来を痛みとともに進もうとする意志からは、彼にはこの先も生活があることがわかり、現実感があります。私たち聴き手も彼同様、順風満帆とはいかず何かしらの痛みや辛さを抱えながらも生活をしていかなければならない人がほとんどだと思います。ただの綺麗な失恋物語で終わらず、聴き手の人生・生活とのつながりがあるところも好きです。
 
第二に好きな点としては、やはり一貫して歌詞が美しいところです。四季の描写と男女の恋模様の描写の流れが自然で美しい。また、抽象的で詩的な描写で、男性の回想という形をとっているのも手伝ってとても幻想的、かつ郷愁を誘います。また、色の描写は一切ないのに四季ごとに色が見えるのも素敵だと思います(私だけかもしれませんが…)。春は、二人を包み込む風にまう桜、夏は夜のブルーグレーのさざ波、秋は朝日にやわらかく照らされたふたりを包むシーツのベージュ色、冬は涙を流す彼女の上から舞うやわらかな雪…。綺麗な小説を読んでいるかのような気分になります。
 
私は当時、アイドルに対してあまり良いイメージがなかったのですけれど、そんな先入観は打ち破られ、早速友達から四季のCDを借りたのでした。
 
 
2.橘慶太くんの透明感あふれかつのびやかな歌声
 
閑話休題、そもそもw-inds.って?という方のために簡単に彼らの説明を(引用元は公式サイト、wiki、自分の記憶より)。
 
w-inds.は、橘慶太くん、千葉涼平くん、緒方龍一くんの3人から成るダンスボーカルユニットです。事務所はライジングプロダクションに、レコード会社はポニーキャニオン(!)に所属しています。基本的にボーカルとダンスを慶太君、コーラスとラッブとダンスを涼平くんと龍一くんが担当しています。2001年3月14日にデビューし、その中性的な容姿や慶太君のハイトーンボイスで人気を博しました。当初はアイドル的な売り出し方ですが、徐々に徐々にアーティストに転向していった印象です。
 
現在はこのような楽曲を歌っています。
 

www.youtube.com

※ふたつめのTime Has Goneは、慶太くんが作詞作曲編曲などを手掛けています。

ちなみに、四季のころの彼らの年齢は慶太くんと龍一くんが18歳くらい、涼平くんが19歳くらいです。
 
さてさて、本題に戻りましょう。
早速友達からCDを借りた私は、歌詞だけでなく彼らの歌声にも没入していきます。四季はボーカルを慶太君が、コーラスを涼平くんと龍一くんが担当しています。まずは慶太君の声からお話します。とにかく、透明感があるその歌声に強く引き込まれました。透明感がある、というか声が透明、透明そのものなんです。純度100%のお水をいただくような、何の引っかかりも違和感もなく耳を通って心にしみ込み癒してくれる声なんです。甘さもあるのですが、透明でさわやか。そして、声変わりしたことにより声に柔らかさが出て、春の木漏れ日に包み込まれるような心地よさがあるのです。また、太さも出て伸びやかになったとも思います。この後慶太君の歌い方はどんどん変わっていきますが、当初抱いた慶太 君への声のイメージは変わることのないまま今に至っています。唯一無二の、誰よりも一番心地よい声だと思っています。
 
 
3.涼平くんと龍一くんのコーラスの美しさ、3人の歌声の調和
 
お聞きになっておわかりいただけたと思うのですが、この歌は慶太くんの歌声だけでは完成しません。涼平くんと龍一くんのコーラスがあってこそ四季の世界観が完成します。
 
二人のコーラスが慶太くんの歌声に折り重なり、重層的な音の世界を作り出しています。けれど、自己主張がなく透明感のある歌声なのでけして重苦しくない。とても薄い七色の和紙を重ねてた上から光を照らしたら、淡い虹色の世界が広がっている…そんな世界観。先述の「淡々とした切なく、美しい」歌詞の世界観を壊すことなく声で表現しています。
 
サビではコーラスのボリュームがわずかに大きくなり、音程も(多分)メインの慶太さんの声と違うので、より重層的かつ違和感のない程度に盛り上がりを見せています。全体的に淡々とした楽曲なので、わずかな緩急でも聞き手を引きつけ、歌詞の語り手(男性)の引き絞るような切ない心の声がドラマチックかつ素直に伝わってきます。(私は音楽的なことはさっぱりわからないので、音程などに関しては不確かです。聴いた感じです。)
 
 
4.聴けば聴くほど耳に馴染み、心地がいい
 
四季にはまり込んだ私は毎日毎日飽きもせず四季を聞き込むこととなります。四季のすごいところはこの状態が永続的に続く(続いている)ことです。当初ほどではないにしても、今でもほぼ毎日聴いていますから…。
 
四季は、淡々とした歌詞とともにメロディーも淡々としています。(淡々としているけれど、歌詞同様、郷愁を誘うような、あたたかでほろりと泣けてくるようなメロディーです。)そして先述の通り、三人の歌声は透明度が高くて耳にすうっと入ってきます。とても耳なじみがいいのです。さらに、聴けば聴くほど耳が慣れてきて、全く違和感がなくなる。ただし、無音に等しいというわけではなく、それは川のせせらぎとか、風の通り抜ける音とか、葉擦れの音といった類のものです。癒される自然音に近いのです。耳にとても心地よく、聴くとほっとする。特に、つらいことがあった時、疲れたときには優しく寄り添ってくれます。励まして鼓舞してくれるというよりは、がんばったね、いったん休もうねっ て寄り添って癒してくれる、とまり木のような存在。いつの間にか、私の生活に欠かせない存在となっていました。
 
(一方で、じっくり聴いて改めてその歌詞の深さ切なさに感嘆しセンチメンタルな世界に入り込めるところも四季のすごさです。)
 
学校の、アルバイトの、会社の往復で四季を聴いて何度助けられてきたか。四季とw-inds.への感謝の気持ちは絶えることなく、一生続くと思います。改めて、感謝です。
 
(主旨から外れるので割愛しますが、四季をきっかけとしてw-inds.の新曲を買うようになり、今では四季だけでなくたくさん好きな歌があり、立派な(?)w-inds.のいちファンであります。)
 
 
5.ノスタルジックかつ刹那的な少年の美しさをとじ込めたPV
 
四季が収められているPV集は私の宝物のひとつで、今やボロボロです。センター試験当日の朝も見てから臨みました…。
 
歌詞の失恋というテーマとは打って変わってタイムスリップがテーマになっているこちらのPV。こちらもとても素敵なのです!!
テーマは違うものの、根底を流れている雰囲気は「切なさ」「郷愁」と、歌詞・メロディーとリンクしています。
全体的な色彩が秋の色でおぼろげな雰囲気、かつ古めかしい鉄道や駅舎が舞台なので、どことなく懐かしさを感じさせます。ストーリーも、過去の自分や自分の縁者と邂逅するものの、気づいた時にはその相手は幻影だったかのようにすぐに消えてしまう…、というもの。その一瞬の邂逅に、刹那的なものを感じ、切なくもなります。
 
また、このころのw-inds.は少年から青年に移り変わっていく年頃。デビュー当時は少女と見まごうほど愛らしかった面立ちが、だんだんと美しい青年へと変化していく過渡期です。その渦中の瞬間がこのPVには収められています。危うげで、不安定で妖しげな少年たちの刹那的な美しさにため息がもれる人もいるかと思います。
 
ちなみに、PVメイキングもとてもすばらしい!!等身大の彼らの何気ない瞬間が収められており、とてもかわいらしいです。特に、共演した子供たちと遊んであげる慶太くんは微笑ましいですし、列車ごっこをして遊ぶ三人は年相応でかわいらしく面白いです。
 
 
6.最後に
 
四季のレビューで、「この曲はちがう。重い。」といったものを見かけたことがあります。(先ほど探したんですが見当たりませんでした…。)私はそれにいたく共感し、同じようなことを感じている人がいることにとても嬉しく思ったことを覚えています。
 
とにかく、四季が大好きです。いつもありがとう。これからも、多くの人に愛され続ける歌でありますように。願わくば、四季をまだ知らないけれど必要としている人に、何らかの形で四季の歌が届けられますように。
 
最後に、考えや感じ方が違った部分、補足したい部分もあったかとは思いますがここまでお読みくださりありがとうございました。(明らかに間違っている情報がありましたら、優しくこっそり教えていただけると助かります!)
 
重ね重ね、ありがとうございました!!