マリウスくんの受験合格・進学と、自分自身のごく個人的な「がんばれないコンプレックス」について。

マリウスくん、大学合格・ご入学、おめでとうございます。大学入学の正式発表が掲載された新聞は二部購入しました。

合格を手にするまで、様々な苦労があり、努力を重ねてきたのだろうな、と思うと、改めてすばらしい人を好きになったのだと思います。

 

新聞より少し早めに進学先を知ったのですが、そのとき私は思わず泣きました。それは、祝意からではなく、劣等感と、自分を恥じ入る気持ちに耐えかねてのことでした。私の中にある、学歴コンプレックスとは少し違う、永らく蓋をしていた「がんばれないコンプレックス」が悲鳴をあげて起き出したからです。

 

それからというもの、ふわふわした、地に足がついていないような心地で数日を過ごし今に至っています。未だ非日常から帰ってこられていません。頭のモーターがフル稼働、思考力がギュインギュインと回転が止まらず、春らしく私生活で起きた転機も相まって、知恵熱のような頭痛もおこりました。衝動的に読むべきだと思う本を買いあさり、平生は積み上げてそのままなのに、すぐさま読んでいます。頭の中のモーターはさらに加速し、思考と感情のうごきが止まない。そんな中、たくさん考えたこと、心にきめたこと、そして改めて感じたマリウスくんへの謝意と好意を、ブログに残しておきたいと思います。

 

 

 

私には根強い「がんばれないコンプレックス」があります。何かひとつのことを、全力で成し遂げたことがない。心から晴れ晴れとした達成感を味わったことがなく、それは同時に、今も続く成功体験・自己効力感への飢えと繋がっています。そして、全力で頑張れなかったと一番後悔し、未だ胸の奥底にわだかまりが残りつづけているのが大学受験です。

人生で、受験や部活ほど「全身全霊」で頑張れて、達成感を得られるチャンスというのはなかなかないように思いますが、全てが中途半端だった気がします。大学受験は、今は廃れてしまった通過儀礼に代わるもので、成長できるチャンスである、なんて意見を目にしたことがありますが、私はそれを棒に振ってしまったと思っています。*1

 

母校に失礼のないように断っておくと、私のコンプレックスは学歴コンプレックスではありません。私は母校を愛していますし、あの学び舎で勉強できたことを幸運に思っています。ただ、本当に、母校に合格できたのは運がとてもよかったからです。誰得という話なんですが、軽く受験の話をさせていただきたいと思います。

 

私は昔から自己管理能力がなく、大学受験の時も変わらずでした。その顕著な例が、センター試験直前の冬休みにドラマを1クール分一気に見たことです。夏休みも塾をサボったことがあります。最低限の予復習しかした記憶がありません。やろうやろうと思うものの、完璧思考が強すぎて「一度始めたら完璧にやらなきゃいけない」「できない自分を直視するのが怖い」という深層心理が働いて無気力になり、どうしてもやらないと授業に支障が出る課題以外は、何もできない状態に陥っていました。幸いスマホはなかったものの、パソコンはありましから、誘惑はすぐそばにあり、つい手を伸ばしていっていました。楽な方へ、楽な方へ流されていきました。苦手科目の歴史は、秋か冬の模試で偏差値40台を叩き出してしまったものの、これほど授業外での努力がものを言う科目はなく、結局苦手を克服しないまま入試を迎えてしまいました。

 

頑張ってこなかった、積み上げがないままで迎える受験というのは、恐怖でしかありません。ドラマやら物語で大舞台の本番前に、気持ちを落ち着ける時によくいう「あれだけ頑張ったんだから」の「あれだけ」が自分にはないわけですから。何も装備を身につけずにモンスターを倒しに行くようなものです。恐怖で連日眠れなくなり、眠眠打破片手に最悪のコンディションで入試を受け続けました。ただでさえ知識の貯蓄がないくせにコンディションも最悪ですから、手応えなんであるわけもなく。絶望的な気分でいました。

 

そして、第二志望の大学の受験の日。その学校は、1回も行ったことがなく、この日が初お目見えでした。キャンパスに入り、大学全体の雰囲気を感じ取った瞬間、私はそのキャンパスの虜になっていました。大学がバレるのが怖くて詳細はお伝えできませんが、とにかく「ビビビッ!」ときて、胸が高揚し、目の前の景色がぱぁぁぁっと鮮明になった心地がしたのです。第一志望校の文化祭やオープンキャンパスでさえ感じたことのない感覚でした。突如、「なんて素敵な大学なんだろう!絶対ここに入りたい!!!」と思い、眠眠打破を多量に必要とするような体調にも関わらず頭が冴え渡ってきました。そして試験がスタート。突如燃え上がった私の情熱に応えるかのように、運の女神様も味方してくれました。国語に、直前に授業で扱った文章が出たのです!英語も今までにないほど集中し、頑張って解きました。今までは冒頭からくさっていた歴史も、この時ばかりは問題に食らいつきました。そうすると、普段ではぜっっったい解けないような問題も、脳の奥の奥の奥にある記憶を無理くり呼び覚まし、歴史用語を引っ張りだしてきて、なんとかいつもよりは解け(たような気がし)ました。この時ほど、「やりきった!」と思える入試は、第一志望校を後に控えていたものの、ありませんでした。正直、実力以上のものが発揮されたと思っています。

 

そして、何とか第二志望校に合格。第一志望校には不合格だったものの、結果に対して不満はありませんでした。(母校を志望し、コツコツと精進を重ねてきた方々には申し訳ない限りです。ごめんなさい。)

 

けれど、結果オーライだっただけであって、結局受験を通して、私はほとんど努力をしなかった…。「がんばれなかった自分」という悔恨が心に刻まれました。それを払拭しようと、入学後はサークル活動に精を出すも、これもあえなく挫折。アルバイトも中途半端。「何ごともがんばれない自分」というネガティブなセルフイメージができあがり、「自分はダメな人間だ」と自己否定をする思考癖が少しずつ、少しずつ常態化していきました。

 

それは、就職後により一層加速していきます。何もがんばれない自分が嫌で、そんな自分を変えたくて。自分に不足しているスキルを磨きたいし、趣味の能力もあげたいという意欲もそれなりにはありました。資格勉強のための参考書を買ってきて勉強しようともしました。根本から自分をかえようと、自己啓発本を読んで自己実現を果たすべくその内容を実行しようともしました。けれど、その全てが継続することなく挫折に終わりました。変わりたい、頑張りたいという意欲を遥かに上回る無気力感。ネットサーフィン、睡眠、楽な方に楽な方に行ってしまう。何もかもが面倒くさい。そんなことの繰り返しで、もう自分のことが相当嫌いになっていたと思います。何か「楽しい」と思うことがあっても、「本当はあれを頑張らなければならいのに頑張れていない」と、心の底から楽しむことができませんでした。仕事で度重なる失敗に対しても、生産性のない自己否定を繰り返すようになりました。その先にあったのは病気でした。

 

病気を契機として、私はたくさんのことを学んで、自己否定をやめることができました。歪んだセルフイメージも正すことができました。自分の心を自分で支えるには、まともな生活を送るためには、自己肯定を基本とした心の安定が大切だと学びました。

 

社会復帰してからは、新しいことへチャレンジするというよりは、日々の生活と新しい仕事に集中して過ごしてきました。その中で、私は、ダメにならないように、生きるために、自己肯定に努めました。体力がなくて、やたらたくさん眠る体質で、ストレスがたまるとすぐ病院が必要になる。でも、そんな自分を責めずに認めました。調子が悪いときは、「出社できただけで立派」と自分を褒めました。新しいことを始めてみて続かなくても、「3日坊主でも、3日続いただけすごい!」と励ましました。自分を認めなきゃ、膝からくずれおちる。前に進めなくなるから。前職のように、自罰的になって自分を悲観してそこから動かなくなるのは、甘えだと気付きました。できそこないの自分を肯定する(自分の粗探しをやめる)ことで、人として重大な誤りを犯していることを見過ごし、一人ぼっちになるのでは、何かとても恐ろしいことが起こるのではないかと戦々恐々としていましたが、それは杞憂に終わりました。転職してから数年間。自己肯定を繰り返し、心の安定を手に入れ、趣味も楽しむことができ、やっと人生が楽しい!と心から思えるようになってきました。

 

 

でも、そうして心おだやかに日々を過ごすうちに、「本当に、それだけでいいの…?」って、どこかで誰かが耳打ちしてくるような心地がしていました。

 

 

そんな折に、目にしたのが、マリウスくんの大学合格の知らせでした。

 

 

その瞬間、どうしようもなく自分が恥ずかしくなったのです。まさしく、本当に、マリウスくんの姿は、私の「こうなりたかった」姿そのものでした。ハーバードのセミナーへの参加、英検、雑誌で時折話す勉強についての話…。それらが頭を駆け巡って、本当に、本当に、勤勉に、コツコツと努力を積み重ねてきた人なのだと。しかも、虚栄心からくるものでも、自分のためでもなく、そのもっともっと先の、たくさんの人たちを思っての志を胸に頑張り続けてきた、尊敬すべき立派な人なんだ、と。

この時ばかりは、自己肯定とかどこふく風で、自分を恥じ入りました。そして、劣等感に押しつぶされそうになり、苦しくて涙が溢れました。今の自分を否定したいわけではありません。でも、やっぱり、やっぱり、心の奥底に、「ちゃんと、何かを、がんばりたい、がんばり切ってみたい…!!」という気持ちがあったのです。大学受験時に果たせなかった、努力を積み上げて、それに見合った成果を手に入れ、手放しで自分を認めたい、誇りに思いたい、達成感を得たい…って。「がんばれない」コンプレックスが、私の中にはまだ息づいていて、強烈に自分に訴えかけてきて、その存在に気づかされました。そして、本当は、もっと自分のここをこうしたい、ああしたい、という具体的ながんばりたいこともあったのです。

 

それから、私は考えました。コンプレックスを解消したいなら、現状の自分を認め肯定するだけでは、現状維持だけではダメです。でも、だからといって自己否定をモチベーションにしてスタートする努力はありえないと今まででの人生が証明しています。今のありのままの自分を認めつつ、その自己肯定の力をバネにして、階段を少しずつ、登る必要があるのだ、と思いたりました。 方法論、体力づくり、学ぶべきことがたくさん見えてきて、勢いに任せて本をたくさん衝動買いして、早速手にとって読んでいます。

 

思考をフル回転させつつ、行動も自然と伴い、この数日間、アドレナリンが放出されっぱなして、不思議な心地で過ごしています。そして、自分の中に、確固たる気持ちが芽生えていました。

 

今度こそ、コンプレックスを乗り越えよう!!!って。

 

そしてそれは、自己否定をのりこえ、自己肯定できるようになった今だからこそ、向き合える壁なんだと思うのです。きっと、今の自分なら、挫折しかけた時、恥ずかしくて、ばかで、惨めな気持ちを、素直に受け止めて、自分はだめだとならずに継続のための一歩を進められると思う。マリウスくんの大学進学は、私の奥底にしまい込んだコンプレックスを、絶妙なタイミングで呼び覚ましました。そして、やっぱり思ってしまう。私は、マリウスくんを、好きになるべくしてなったんだろうなぁ、と。

 

マリウスくんはいつだって私の尊敬する人で、目標で、指針で、マリウスくんがMEKURUで語っていた、「自分はこういう人になりたいっていうの」というアイドルの定義そのものです。そして、新聞で「悩みなどを克服するきっかけとなるような、勇気づけられる存在になりたい」とあるけれど、もう、すでに、マリウスくんは私にとって、そういう存在です。

 

きっと、近い未来、マリウスくんが大学について話すたびに、劣等感がちりりと痛んで、苦しくなると思う。でも、それと同時に、私もがんばろうと思える自分でいられるようにしよう。そして、たくさんがんばって、マリウスくんのおかげで、たくさんの壁をのりこえられた、って、言えるようになりたい。そして、その乗り越えた先で、わずかでもいいから、人に奉仕できる自分になっていたい。自分自身のため、マリウスくんに感謝するため、人のために。

 

今、やっと動き出した自分のエンジンに任せてもう少し行動を続けてみようと思う。そして、どうかどうか、この決心が風化しませんように。

 

 

*最後に*

 

マリウスくんの誕生日を迎えるにあたり、改めてマリ担としてどう生きるべきかを考えるべく、手に取った「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)を読んでみて。そこには、私が心底知りたかったことが書かれてありました。要約すると、「本当に人類の役に立ち、万人から尊敬されるだけの発見というもの」をするために、まず私たちは、「できるだけ学問を修めて、今までの人類の経験から教わらなければならない」。なぜなら、「いろいろな学問は、人類の今までの経験を一まとめにしたもの」だから。自分が発見したと思ったものは、すでに先人が発見している場合があるから、まずは学問を修め先人の経験を学び、その上で新たな人の役に立つ発見をすることが肝要、とのこと。

 

そして、同じ章で、こうも語られています。「人類が今まで進歩してきて、まだ解決のできないでいる問題の一つ」として、「これほど人類が進歩しながら、人間同志の争いが、いまだに絶えない」問題があり、人と人との関係は、「人間らしくなくっちゃあいけない」と。「人間が人間同志、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、他にありはしない。そして、それが本当に人間らしい関係だと」。

 

どの言葉も、すぅっと胸に沁みこんでいきました。そして、どの言葉にも、デジャブを感じ得ずにはいられませんでした。マリウスくんが、雑誌などで語っていたこと、そのものだと思ったのです。勉強をする上で、その出発点となる大事な考えを私はマリウスくんとこの本で学びました。そして、同時に、学校で勉強することの意義を今更ながら痛感しました。受験のため、成績のため、虚栄心のため、単位のため…本質からずれた目的のために、表層をなぞるような勉強を、たくさんしてきてしまったと後悔するとともに、勉強し直そうとも思いました。

 

マリウスくんは、大事な大事な勉強の意義を、すでに知っている。本当に、本当にすごいことで、それを理解した上での勉強というのは、どれだけマリウスくんの血肉となり、多くの人へ影響力をもたらすものなのだろうか。それを考えるだけで、未来へのポジティブな気持ち、希望に胸が満ちてきます。

 

そしてそして。マリウスくんの受験勉強は、本当に本当に大変だったとは思うけれど、その苦労を、さも「苦労しました」という風に語ることなく、会報などで語るときも、からりと語っていて、すごいなぁと思いました。がんばる姿を見せない、とかとはまた違い、がんばる姿勢に悲壮感がなくて、逆にポジティブなパワーをもらえる。本当に、本当に、素敵な人だなって、大好きだって、思いました。

 

マリウスくんの大学生活が、マリウスくんにとって、幸福で意義深いものでありますように。

 

 

 

 

*1:「大学受験 通過儀礼」で検索すると、このような記事がありました。

進路のへや: 受験勉強は大人への通過儀礼